1. おいたち、家族、結婚
2. 新しい婦人運動の幕開け
3. 暮らしに根づいた組織づくり
4. 働く婦人のための「家」づくり
5. “奥さん”国会ヘ……参議院議員生活18年
6. 家庭婦人の団結……主婦連と主婦会館
7. 素顔の奥むめお

新しい婦人運動の幕開け<解説パネル>

 新婦人協会は、女性の地位向上や政治活動の自由を求めて、大正9年3月結成された市民的女性団体である。奥むめおは、日本女子大の先輩だった平塚らいてうの誘いを受け、また夫、奥榮一にもすすめられて、市川房枝とともに中心人物として参加した。
 協会は、女性解放を目指して、議会に対する請願運動を活発に行った。奥むめおの社会的活動の始まりであったが、そのとき長男杏一を身籠っていた。


治安警察法第5条の改正運動<解説パネル>

 治安警察法第5条には、「女子」が政治集会に参加したり、発起人になったり、政党に加入することを禁止していた。新婦人協会は婦人参政権の第一歩として、まず「女子」の2字を取りのぞく運動を展開、全国の女性から署名を集め議会へ提出、ようやく大正11年4月、一部修正が議会を通過、政治活動の自由が実現した。


新婦人協会設立当時の写真(日本経済新聞社写す)

(後列右が奥むめお、左が市川房妓、前列中央が平塚らいてう)

大正9年(1920)
治安警察法第五条修正の祝賀会

中央は法修正に尽力した松本君平代議士、その右後ろ顔半分が奥むめお

大正11年(1922)
政談演説を行う奥むめお

治安警察法が修正され、婦人の政談演説が自由になると、奥むめおは花形婦人弁士として各地を子連れで歩いた。むめおの演説は明快かつ雄弁で、多くの聴衆を魅了した。

大正11年(1922年)
婦人団体連合講演会の控室で

生後一ケ月の長男杏一を抱いて、はじめての外出

大正9年(1920)


資料



2-a
 ●機関雑誌『女性同盟』

大正9年10月から大正11年12月まで発行された。
大正10年6月号から、新婦人協会が解散するまでは、奥むめおが市川房枝から引き継いで編集責任者となって刊行した。

2-b
 ●「女工生活に入りて」

雑誌『労働世界』第4巻8号(大正8年9月)掲載
「労働世界」の記者になったむめお(当時和田むめお)は、労勧者の体験を得ようと東京本所の富士瓦斯紡績工場の女工となった。過酷な労働と寄宿舎の衛生状態のひどさを自らの体験のなかから述べている。

「朝から晩まで汗と脂にまみれながら働いている吾が姉妹よ……」

大正8年(1919)


2-c
 ●「新婦人協会と赤瀾会」山川菊栄『太陽』大正10年7月号掲載
  「私どもの主張と立場」奥むめお『太陽』大正10年8月号掲載

この年、最初の社会主義団体赤瀾会を結成した山川菊栄は、新婦人協会と平塚らいてうの行動を「労して益なき議会運動」「ブルジョア婦人の慈善道楽」などと批判した。
これに対して、奥むめおは早速筆をとり、治安警察法第五条という悪法の意味を説き、婦人自身の自覚を促し、階級的立場をこえて婦人たちの団結の必要性を訴え反論した。

大正10年(1921)

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