1. おいたち、家族、結婚
2. 新しい婦人運動の幕開け
3. 暮らしに根づいた組織づくり
4. 働く婦人のための「家」づくり
5. “奥さん”国会ヘ……参議院議員生活18年
6. 家庭婦人の団結……主婦連と主婦会館
7. 素顔の奥むめお

 奥むめおは、婦人のおかれている最も身近な問題を見つめていた実践的運動家である。これまで続けていた政治運動は、必ずしも婦人大衆の要望を満たすものではないと感じとり、家庭経済運動へと方向転換していく。
 まず職業婦人と家庭婦人の共通の問題点を探り、下中弥三郎平凡社社長(当時)の後援を得て、大正12年職業婦人社を設立した。ここに集う婦人たち電話交換手、タイピスト、事務員、農婦などの層は厚く、悩み、喜びをわけ合った。
 昭和3年、生活の合理化をすすめ、具体的に主婦層の要求をも実現するための機関、婦人消費組合協会を結成、終生の消費者運動の出発点とした。



『職業婦人』は、大正12年9月、関東大震災の影響もあって休刊。大正13年『婦人と労働』、大正14年『婦人運動』と改造して長い命を持ち続け、昭和16年8月、戦時下における用紙の不足による雑誌の整理統合で廃刊した。奥むめおは精力を尽くし、半生の苦楽がしみ込んだこの雑誌の終わりを惜しんだ。

(写真は『職業婦人』大正12年(1923)6月創刊号と、『婦人と労働』大正13年(1924)5月号)

第1回国際協同組合デーを祝う 東京共働社


昭和2年(1927)
高知共働社の前で

産業組合の婦人部づくりに参加し、運動の輪は地方へと広がっていった
(後列中央が奥むめお)

昭和3年(1928)頃
職業婦人社の活動として、講座や研究会が開かれた

大正12年(1923)頃
婦人消費組合発会式

婦人消費組合は、今までの婦人運動でなおざりにしてきた、家庭婦人の日常の問題を解決することを目的として結成された。物価値下げ、不正商品の摘発、児童福祉、母性保護、学校教育の改善、税制改革、社会的福利施設の増設などを提言した。

昭和3年(1928)


資料



3-a
 ●『婦人運動』表紙絵オリジナル(海老原喜之助)

奥むめおの妹富尾と親交のあった洋画家、海老原喜之助は、雑誌『婦人運動』のために表紙絵を数点描いた。
昭和11年(1936)頃

3-b
 ●雑誌『婦人運動』

昭和5年(1930)5月号
昭和8年(1933)1月号
昭和10年(1935)7月号
昭和12年(1937)7月号
昭和16年(1941)4月号

3-d
 ●雑誌「婦人運動」

昭和8年(1933)
(復刻版発行 1991)

3-e
 ●奥むめおの著書『花ある職場へ』の書籍代金の振り込み書

『花ある職場へ』は、戦時下という暗い時代に、職場でも家庭でも働きつづけなければならない女性たちへの、奥むめおのあふれる思い、激励、アドバイスをつづった書。

昭和16年(1941)




3-a
 ●『婦人運動』表紙絵オリジナル(海老原喜之助)

奥むめおの妹富尾と親交のあった洋画家、海老原喜之助は、雑誌『婦人運動』のために表紙絵を数点描いた。
昭和11年(1936)頃

3-b
 ●雑誌『婦人運動』

昭和5年(1930)5月号
昭和8年(1933)1月号
昭和10年(1935)7月号
昭和12年(1937)7月号
昭和16年(1941)4月号

3-c
 ●雑誌『婦人運動』のための手書き原稿

『職業婦人』、『婦人と労働』、『婦人運動』と名をかえながら二十年続いたこの雑誌も、昭和16年、警視庁検閲課による雑誌統廃合で、やむなく廃刊することになる。これらは執筆者から寄せられた自筆の原稿。

「鶏三題」 深尾須磨子 昭和8年(1933)
「初夏の歌」 岡本かの子 昭和8年(1933)
「『花ある職場へ』に寄す」 平塚らいてう 昭和16年(1941)

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